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原爆で亡くなった正子の叔父が認めた死の3ヶ月余り前の手紙



「だれかから聞いたことのある戦争のはなし」を聞かせてほしいと、竹中万季さんから依頼を受け、「約百年前の女学生だった大伯母の日記、母の伝え聞くひょうきんだった大叔父が原爆で命を落とす前に綴った手紙が教えてくれた話」を、万季さんたち運営するme and you のウェブサイトに寄せた。



 そこにわたしは、原爆で亡くなった井上正子の叔父が認めた死の約3ヶ月前の手紙に

ついて記したのだが、手紙の影印のみをあげて、「ここに掲載する大叔父の手紙は、現在解読中です。筆跡を眺めて、読める字を探して部分部分から翻刻をしています。明治生まれの大叔父の筆は、くずし字に慣れないわたしの目には、まだまだ読むのに時間がかかるようです」と、内容の説明をしないままでの公開となった。部分部分では読めていたのだが、やはり通読しなければ要約ができないと内容の紹介を諦めた。

 しかし、ウェブサイトに公開されて、「(手紙は)8月6日を境に喪われてしまった記憶の断片だろうと直観」したと書いているのに、影印のみを読者に示して判断してもらうのは、やはり申し訳ないと思って、今朝スキャンした手紙の画像をモニターに拡大しながら解読に取りかかった。以前大谷大学歴史学科の川端泰幸先生にくずし字読解の手ほどきを受けたこともあったので、その時の勘を取り戻しながら読めるところから穴を埋めるように翻刻を始めた。

 午前中いっぱいは粗読みをして、午後は不明の箇所をああでもないこうでもないとじっと文字を凝視した。前後に同じような筆跡を見つけて、そこから解読の糸口が摑めることもある。穴が埋まりだすと、ジグソーパズルの終盤のように次々と文字が埋まっていくのは心地良い。不明の箇所は□として、九割五分方の翻刻はできた。おそらく誤読も多々あろうことなので、お気づきの方はお知らせください。


 以下、「桑門 幹 井上峰子宛書簡(1945年4月26日朝擱筆)」の影印と翻刻。

 朱字はその後判明した誤字、脱字、不明な字を埋めた箇所




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