top of page
井上 迅

井上彰淳戦後日記 1946年(昭和21)1月1日

一月一日 火曜日 晴

悪夢の如き敗戦の年は過ぎた。日本にとつても又自分にとつても昭和二十年は余りにも不幸な年でありすぎた。父を、伯父二人を失つたことは何者にもかへがたい淋しさだ。徒らに虚脱状態にあることを止めて今年こそは雄々しく進まねばならぬ。日本の新生の年を自己の新生の年として。猶その上に今年は希望の年でもある。人の親となる悦びは何物にも比べることは出来ぬ生物的本能の歓㐂[〈喜〉の略字]でもある。祈ることが我が教義に背くことであるとは云へ元朝の読経の際に本尊に父の霊に祈らずには居れなかつた。温行院殿の還相廻向を信じて疑はぬ。母と幸子と宮越の婆さんとの四人での祝儀は淋しかつたが来年の正月を想像して愉しむ。それにしても餅なき正月であるべきに例年にかはらずに祝へたことの勿体なさを感謝せねばならぬ。井尻来たり学校へ行く。校長に代り祝賀式を行ふ。陛下の御勅語の本意のある所を知り、それの実践窮行につとめて新しき日本建設を女性の手により確立せねばならぬとの主旨の下に訓辞をなす。女教員申合はせて和服姿で登校す。ケンランたるものなり。生徒大いに騒ぐも正月らしくてたのし。職員に対する新年の祝儀を廃して水無月会の新年会に合流することを発表す。十五日よりの英語会話講座の準備のために仁科教諭張切つて準備に没頭す。午后年頭客を受く。今井□[孝ヵ]死去のための枕経に参る。死の縁無量にして元旦より逝く人あり。夜井尻姉弟四人来る。







閲覧数:83回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Commenti


bottom of page