本日、3月24日は御結岸おけちがんお彼岸の最終日です。
入りの日の3月18日には、彼岸会法要を厳修ごんしゅいたしました。
彼岸のおとづれに先立って、御門徒の皆様に彼岸会のご案内を通知いたしましたが、そこに記した案内文を再録します。すでにご存知の方も多いとは思いますが、先年11月26日午前0時50分、前住職で父である井上 等、釋 淳祐が満77歳で命終致しました。すでに訃報は御門徒衆に周知いただいておりましたが、表だったご報告はできずにおりました。
明日25日は亡父の4度目の月忌がっき逮夜たいやを迎えます。季節をひとつまたいでしまいましたが、あらためてご報告します。
彼岸会ご案内
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり
「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」総序
どこまでもさまたげるもののない阿弥陀仏の光明は、
われわれ人間の心の闇を破って閃く智慧の光である。
昨秋は前住職 釋 淳祐、井上 等の命終に際し、亡父への温かなる恩情をいただき、ありがたく深く感謝しております。
去る十二月十五日の本葬に際し、御会葬いただいた方々に私がお話ししたことを、先日とある小さな同人誌(『四月と十月』48号/四月刊行)へ絵と文にして寄せました。
ここにそれを再録し、紙数から書ききれなかったことを補足して、彼岸会のご案内とさせていただきます。
双子座流星群
父が死んだとき涙がほとんど出なかった。長男がスッと消え、暗闇の本堂の片隅で小さく肩を揺らしているのに気がついたとき、目頭が熱くなったくらいだ。告別式は密葬で、家族と友人たちが集まった。その時も涙はどこへ行ったのだろうと訝しかった。
三七日に御門徒に向けて本葬を執り行った。本葬の前夜、わたしは仏花を立て、打敷を掛け替えたり準備を遅くまでした。明日は六人の僧侶が内陣に列座して読経する。仏前の荘厳が終わって、銭湯へ行こうと九歳の次男に声をかけた。次男は、今夜十二月十四日の夜は双子座流星群がピークを迎えると、小学生新聞の記事に出ていたのを覚えていて、明るいうちから見たいと話していた。
底冷えのする夜道を、次男と自転車を並べて銭湯に向かった。鴨川に架かる五条大橋の右岸を南に行くと、川を隔てて東の空が開ける。左岸の灯は明るいが、右岸の町は寝静まっている。オリオン座が東山の上空に姿を見せていた。その左に双子座のカストルとポルックスを見つけた。次男にだいたいの位置を指し、あのあたりを「ジッと見ときや」と教える。待てど暮らせど星は流れない。芯まで冷えてきて、「二百数えて見えへんかったら銭湯行こ」と言った。しかし、二百に達しても流れない。二百一、二百二と次男は続ける。確か〝二百十〟と言ったと同時、視野に閃光が現われ、三秒はあっただろう、北から南へ星が流れた。二人で「見えた、見えた」と手を取りあって喜んだ。今までに見た最長時間、最大の流れ星だった。
涙が流れたのは、翌朝、内陣でひとり読経している時だった。
冒頭に親鸞聖人の「教行信証」総序の一節を引かせていただきました。私たちが目撃した流れ星を、無明の闇を破って閃いた阿弥陀仏の光明に譬えるのはあまりに大仰で、われわれにとって決して量り知ることの叶わぬ阿弥陀仏の存在を、星屑ひとつで理解しえたなどとは考えられません。見たあと息子と喜んでいただけでした。
では、私に涙を誘ったものはいったい何だったのでしょう。涙は、読経のさなか、昨日の流れ星のことを思っただけで自然と流れました。何も父のことを考えていた訳ではなく(忘れてはいませんでしたが)、目を瞑った瞼の裏に流れた閃光に触れたと同時でした。
わけのわからない量り知れなさがいっとき心の闇を破って歓喜に光る御顔を覗かせた。
「それはだね。他力、人間がすくわれていることをあらわす阿弥陀仏の智慧が作用したのだよ。」と、私に説法などしたことのない父が教えてくれたのかもしれません。
釋 源祐
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