1922年(大正11)8月25日
八月廿五日 金曜日 晴 起床六時 就眠十一時
夜みんな連で納涼博覧会へ行った。
貧弱な瀧が先ず門前にあるのにいやになる。
かなりの人が入っていた。今日、明日は福引デーで一層入りが多いらしい。
中央の庭園に池に面して舞台が出来、劇をしていた。大勢であまり側へ近よれないから、はっきり分からないので、会場内に入る。
出品物が少ないのと、装飾が行き届いてないのとに、あまり感心せずに過ぎて福引の方へ行った。みんな一等悪いので「頭かき」ばっかりあたる。
弟が〝こんなに沢山〈頭かき〉ばっかりで頭が足りないや〟なんて云っていた。
恐ろしさが半分と、見たさが半分の弟の望みによって〈幽霊の森〉へ行く。〝人が多過ぎて、幽霊の方が怖がるよ〟とわいわい騒いでる中を通る。ちっとも恐ろしくない。面白くもない。
青い灯の中に、変なお化けがいても何の感も起こって来ない。
もっと怖がらして欲しいと思ひながら抜け終わる。
活動写真があったが、見たくないので素通りして少し館内を見て帰宅した。案外につまらなかったのには悲観したが、でもよかった。
1922年(大正11)8月26日
八月廿六日 土曜日 晴 起床五時半 就眠十時
芦屋の友から手紙が来る。
去年、私は芦屋へ行った[大正10年8月4日/日記V]。芦屋の海岸は私はあまり好まないけれど、芦屋全体が気持ちのいい場所だと思う。
停留所を下りて海岸に向かう間の通りがいかにも芦屋らしい、明るい感じのする路である。美しい松原もいい。人通りの少ないのもいい。
芦屋は私の好きなところの一つである。
一体私は海岸はあまり人の多く行かないところを好む。
海水浴場のあるのなんかはあまり俗っぽい気がしていやなのだ。
1922年(大正11)8月27日
八月廿七日 日曜日 晴 起床五時十分 就眠十時
朝早くから張物のお手伝いをする。
お天気もよかったので今日は存外沢山よかっ出来た。
夕方少し夕立がする。でも今年は雨がほんとに少ない。
雨乞いをすればきき過ぎて、東京方面の様に大嵐がする。
ままにならぬ雨の神様だ。
『ためさるる日 井上正子日記 1918-1922』の本文組版
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