涙は止め処なく流れる。存分泣け、それより道は知らない。
1922年(大正11)7月17日
七月十七日 月曜日 晴 起床六時 就眠十一時
九時より葬式行わる。花に埋められたひつぎの中の人はやすらけく清き極楽の園にいるのか……
大勢の参列者は皆一つに、幼い魂の冥福をいのった。
読経の声重々しくひびく。荘厳な式は終わって、私等子供等は、父上と四、五人のお坊さんと霊柩車の後に従う。
蓮の花におおわれた霊柩車と三台の自動車は花山に向かう。
賑やかな祗園会の囃子は賑やかにもれて来るのを耳にすると一層に悲しみは私等の上にもたらすのであった。
初めて目にした焼場。それはいやな感じのするところであった。
肉体の終局を終えるところとは、あまりにいやな場所であった……
白骨となった従弟を見た時、私はたまらなくなった。
すべては事実だった。そして、私は夢の様に思われていた事、それがまざまざと、従弟は失われたのだと云う現実を見たのである。
従弟は再び帰らないのだ。悲哀だ! ほんとに悲哀だ!
涙は止め処なく流れる。存分泣け、それより道は知らない。理智の上からも、情の上からも私の心は叫んだ。
京の祭時の夜は更けて行く。はれやかな灯の下にたわむれている人々もあろう。
けれど私は泣いてる。それらの人々も一度は会うべき深き悲しみに。
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