1922年(大正11)6月13日
六月十三日 火曜日 晴 起床六時 就眠十時
「佐々木さんが自殺なすったのよ」
「てるさんが昨日猫いらずのみなすったのよ」
今朝私はいつもの様に早く学校へ行っていた。そして後から来る方来る方みんなから、私はそうした言葉を聞くのだった。
そして私はたまらなく恐ろしい様な気がするのだった。
人の命それをこの生の世界から引きさかれるのでさへ悲痛であるのに。
自殺であり、私等と同じ学舎に、しかも同級であるため私等はどうしてもそれをそのまますまされない気がひしひしとして来るのであった。
と同時に、可哀そう、気の毒と云う哀愁の思いが一層に増すのであった。
私は思わずにいられなかった。
佐々木さん! 私はその人を知らない。けれど佐々木さんには必度きっと苦しみがあったのである。尊い命、尊い人生をもすべてを棄ててしまわなければのがれる事が出来ないと、自分で思いきめた程の苦痛があったのに違いない。
死を決した佐々木さんの前には命も人生もなかった。唯々苦痛からのがれたかったのだろう。宗教的観念がなかった。それは死んだ人の欠点であったのである。死の最後の時にも佐々木さんは、その友へ、〝毒が私の身体にまわっています。私には最後の時が来ました。幸福にお過ごしなさいませ〟との遺書をさえ書き、生への執着もなく、心は安らかに死んでいかれたのであるらしい。
私は不思議な気がした。したが、それだけ苦しみが大であったのかもしれない。
けれどそれ程の苦しみを持つ人なら、何故もっと考えられなかったのだろう。
何故死! それのみを目的としたのだろう。
死を決行する勇気で何故その苦しみと戦い、戦いの後の心の勝利、満足にまで行こうとしなかったのだろう…… と。
私は唯、今では同じ年の哀れな級友のためにその冥福を祈るのである。
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