「京、滋地方は十八日午後九時二十分前後二回にり長き水平動の地震が起つた」
(『大阪朝日新聞京都附録』大正一一年六月二〇日)」
1922年(大正11)6月18日
六月十八日 日曜日 晴 起床五時半 就眠十時
お墓参りをする。小母様かどなたかお参りなすったのだろう。奇麗にお掃除をし、新しいお花が立てられてあった。
墓に彫られた釈はまだまだ生々しい様な気がする。
ふと私はお墓に小さい杓から水をかけてる時思った。
この下にはお八重さんの骨がある。あの友の骨が……
正子はほろほろと涙が流れた。そして途中で止めていた杓の中の水をまた新しくくみ上げてちゃぶちゃぶとかけるのだった。
従妹は何にも知らない様にのお墓の字を読んでいた。
なまぬくい風は墓地を通りぬけた。
正子は今この日誌を書いている時、次の間の襖ががたがたとする。驚いて見ると、急に私の身がぐらぐらとする。前の窓がゆれる。下の部屋から〝地震よう〟と云ふ弟の声がする。〝おや、こわい〟と思ってるともう元のままになった。
でも大分大きい地だった。私の机の上の時計は九時二十分をさしていた。
『大阪朝日新聞京都附録』大正11年6月20日)
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