今日より初めて洋服で学校へ行く。
何だか気はずかしい様な気がする。
1922年(大正11)7月1日
七月一日 土曜日 晴後雨 起床五時半 就眠十一時
今日より初めて洋服で学校へ行く。
何だか気はずかしい様な気がする。
弟が云う。〝姉さん、恰好はいいけれど、足が大根じゃなかったらな…〟と。
それには私も恐れ入る。
慣れないためか、今まで幾本もの紐でしめていたおなかが急に軽くなったものだから、頼りなくてたまらない。朝からバンドをひっぱって力を入れていた。
随分滑稽なものだ。
でも洋服の最初の日はいやな気もせずにすんだ。
当時、府立第一高等女学校[現 鴨沂高校]では、女袴を履いた和装の制服を用いていた。
男子の着用する学生服は、早くから軍服をモデルとした洋装の制服化が進んでいたが(一八八六年、高等師範学校、帝国大学などが採用)、女生徒の場合、男子に倣って一部で学生服を洋服にする学校もあったが、婦徳を涵養する向きから和服主流の時代が長い。二十世紀初頭から女袴(行灯袴。体操用に創案)が高等女学校、女子師範の制服として広まったこともある。
正子は市立高等女学校[現 堀川高校]の入学時、「紫紺の袴をはいて」(大正七年一二月三一日)と記している。そして「貞と淑とを表わした紫紺の袴」(同九年四月二日)と称している。だから「何だか気はずかしい」という気持ちにも、和装の制服との対照がうかがわれるようだ。
『大阪毎日新聞』(1922年6月11日朝刊第12面)より
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