1922年(大正11)7月6日
七月六日 木曜日 晴 起床六時 就眠十時
夜日暮しへ母上と行く。
静かに従弟の病室に入る。陰気な様。
可愛い瞳はとじられていた。真赤な顔。幾日かの病になやまされたいたいたしい身体。見れば見る程涙はあふれる。
幼い子は短い生涯にわびしく死んで行くのだ。
細い手を握りしめて、はかない命に私は涙をながした。
今朝から一層悪くなったとの事。一さじの牛乳ものどへは通らない。
唯酸素吸入によって持てているのだ。
長い間の看病に疲れはてていらっしゃる伯母様に、種ちやんの経過を聞いている時、私はあまりに弱い人の力に、私はまたため息がもれるのだった。
安らかにと祈って去る時、従弟は大きい音にのどをかきむしられる様にしていた。〝今晩か明日でしょう〟とのお言葉に、又深い悲しみに胸をとざされつつ帰途につく。
Comments